(前々月の続き)
最後に、昨年12月末に89才でご逝去された、元ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子氏の事に触れようと思う。
2012年、渡辺和子氏85歳の著書『置かれた場所で咲きなさい』は、大変な話題を呼んだ。テレビでも取り上げられ、各種広報媒体もその素晴らしさを紹介、2年後には第59刷が発行されて、反響は長く続いた。最近では、鎌倉円覚寺で行われる夏期講習に、彼女が講師としてお出ましになったことも、記憶に新しい。この偉大な方の死を知って、しばし思いを巡らせていた。彼女が、二・二六事件の犠牲者である、陸軍軍人教育総監・渡辺錠太郎の次女であることも勿論注目されていたが、それ以上に、彼女の深い人生から生まれる人間の大きさが、人々の心を掴んでいた。
一、老人の輝き いぶし銀の輝きを得る
ここには、坂村真民の詩が紹介されている。
老いることが こんなに美しいとは知らなかった
老いることは 鳥のように 天に近くなること
花のように 地に近くなること
しだれ柳のように 自然に頭のさがること
老いることが こんなに楽しいとは知らなかった
渡辺氏は、85歳の今、この詩のように老いることが美しいとは、正直いって思えていないと言う。しかし、若い時には考えていなかった一日の重さ、「今日も一日生かしていただく、ありがたさ」を身に沁み、出来ていたことが出来なくなる自分の弱さを嫌というほど知って、他人に頭を下げる謙虚さを、いつしか身に付けた。このような自分の内部に湧いてくる感謝の念と謙虚さが、もしかすると「輝き」になっているのかもしれない、と感じておられる。何かを失うという事は、別の何かを得る事。若いときに出来ていたことが出来なくなるのは、新しい何かを創造してゆく事、今日より若くなる日はない。毎日を「私の一番若い日」として輝いて生きる。これが老人に与えられた一つのチャレンジだと、語っている。
一、歳は私の財産 歳を重ねてこそ学べること
ある方の「私から歳を奪わないで下さい。歳は私の財産なのですから。」という言葉に出会った渡辺氏は、「財産となるような歳を取りたい」という思いが芽生えたという。自分らしく生き、時間を大切に過ごして、自分を成長させていかなければならないと気付いた。肉体的成長は終わっても、人間的成長はいつまでも可能であり、すべきこと。その成長とは、伸びる事より熟してゆく、成熟すること。不要な枝葉を切り落とし、身軽になる、つまり意地や執着を捨て素直になる事、他人の言葉に耳を傾けて謙虚になることが「成熟」の特徴。世は決して自分の思い通りにならない、一人ひとりは異なり、お互い受け入れ許し合うことの必要性も、歳を重ねる間に学ぶ。これらの成長や成熟には、痛みを伴う。自分と戦い、自我に死ぬことを求めるから。しかし、一生の終わりに残るものは、我々が集めたものではなく、我々が与えたもの。人は幾つになっても、精神的に成熟することができるし、謙虚になることが成熟の証。財産として残る日々を過ごしたいと、彼女は言うのである。
まだまだ、ここに載せきれないくらいたくさんの言葉がちりばめられている。そして昨年末、彼女は財産となる八九年の人生を閉じられた。それは今、多くの人々の財産となっている。
平成29年4月10日 畑中香名子


